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笠原康明、滝川一益に、在京中の厚意を謝す

急度令啓達候、抑拙者就下着仕候、以号玉龍坊衆験被申候、仍去春者為使罷上候処、種ゝ御指南、因茲始中終過分之条ゝ、余身候、一代之面目、更難尽筆紙存候、殊更当方へ御深重之御筋目、佐久間殿・二位法印以御両使具被仰出候、帰国則委細為申聞候、大小共ニ披喜悦之眉候、猶以直状被申候由、可得御意候、恐惶謹言、
四月六日
 笠原 越前守康明判
謹上 左近将監殿 人ゝ御中

→小田原市史 資料編I 480「笠原康明書状写」(水戸市彰考館所蔵古簡雑纂六)

天正8年に比定。

 取り急ぎ申し上げます。そもそも私が下着したことについて、玉龍坊という修験をもって申されました。さて、去る春に使者として上洛したところ、色々とご指導をいただき、これによって最初から最後まで過分に扱っていただき身に余ることでした。私一代の面目を施したことは筆舌に尽くし難く思っています。殊更にこちらへの深く重く筋目を果たしていただき、佐久間殿・武井夕庵の両使者が詳しく仰せ出されました。帰国してすぐに詳細を申し聞かせました。大小ともに喜悦の眉とされています。更に直接の書状で申し上げるだろうとのこと。御意を得られますように。

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